◎昭和56年10月16日 錬心館 設立
◎平成13年10月14日 錬心館道場 完成
◎平成27年10月 1日 西国武道会館 完成
昭和43年 初代館長である西田次芳が「柳生新影流兵法」蒲池源三郎鎮浪先生率いる柳心会へ入門、 その後 長男西田浩三・長女 西田孝子も入門し修行を初める。
当時数名であった柳心会(会長 蒲池源三郎鎮浪)も、八支部・館員百数十名となり、副会長(西田次芳)として微力ながら 務めさせて頂きました。
昭和56年10月16日、蒲池源三郎鎮浪先生の認可を得て、「錬心館」として親子3名で独立する。
当初は、自宅の二階を道場として開設し、蒲池先生にも指導においで頂く。
蒲池先生より拝受する
昭和57年 西田次芳 免許皆伝
平成03年 西田浩三 免許皆伝
昭和51年 西田孝子 初伝
昭和58年6月10日に初代館長 西田次芳 (54才)急死の為、同年7月より、二代目館長として、西田浩三が就任する。
平成9年8月21日に蒲池源三郎鎮浪先生が、享年86才で永眠される。
この訃報を受け
「古武道は、流祖が生死をかけ創意工夫をして編み出したものであり、師から弟子が受け継いだものを正しく正確に自分流に変化させることなく、後生につないで行くことが、弟子の努め」との思いを強くし業を継承して行く為に、錬心館創立21年目に当たる平成13年10月に新道場を建築する。
同年10月14日に柿落としを行う。
平成17年11月13日に「西国 柳生新影流兵法」と改名する。
柳生新影流兵法の業が、日本の西の地にて脈々と受け継がれており、江戸・尾張柳生とは別の独自の発展・進化を遂げております。
先人の鍛えし業を違えることなく伝承する為に、強い意志と信念で「西国 柳生新影流兵法」と改名する。これは、決して流派を立ち上げたり、業の変化や変更をする為のものでなく、心新たに後世に伝承せんが為のものです
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