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有地内蔵允常掌元勝
1600〜1670?
一時期柳生松右衛門の養子になるも、有地家に復籍する |
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※昔の方は名前を、事ある毎に改名をされており、
時代によって違う名前で記載されている事があります。
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有地平右衛門元貞
1633〜1699
元勝の三男で甥である有地五郎右衛門氏盛が若年の為、後見人として萩より来て指導する |
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有地五郎右衛門氏盛
1675〜1740?
就信の長男 |
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三宅源八郎重栄
?〜1736?
初め就信につき、後に元貞に剣を学び、ここから三宅姓が始まる |
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有地四郎右衛門氏勝(元西)
1701〜1746
氏盛の長男
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三宅太三右衛門尉栄貞
(旧姓:小金丸)
1746〜1813
三宅三右衛門尉栄範の死後、子である三宅源六郎栄元が幼少の為、養子となり三宅家を継ぐ |
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有地四郎右衛門元渡
1766〜1813
元直の長男 |
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三宅家の武道継承家が二手に分かれる |
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三宅太三右衛門尉栄貞
(旧姓:小金丸)
1746〜1813
家督を三宅源六郎栄元に譲った後に、武道家としての功労があったと認められ別家を建てる。 |
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三宅源六郎栄元
1761〜1816
撃剣の術は天下に敵なしと称される
(栄範の実子)
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有地内蔵允元輝
?〜1885
氏綏の長男
1885年
(明治18年)他界
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上記三名が明治を迎えたと思われる
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江戸時代は、藩の指南役として書物に記載が残っているのですが、明治以降は時代の変化に伴い武道家にとっては厳しい時代になり、資料がほとんど残っていない為、口伝をそのまま記載をしています。
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三宅三右衛門継信
現代人に刀の取り扱いの基礎を学ばせる為に、基本の業(居合術)を考案する1942年(昭和17年)他界 |
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蒲池源三郎鎮浪.
福岡の地で継承し、基本の業の二本目を制定する。多くの門人を育てる1997年(平成9年)他界 |
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錬心館 初代館長
西田次芳
蒲池源三郎鎮浪率いる「柳心会」に入門。その後、師の許可を得て「福岡藩伝
柳生新影流 錬心館」として独立する。翌年に免許皆伝を取得した |
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新たに熊本県立図書館蔵「富永家文書」を錬心館門人が調査をし追加記載をしています |