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敬称を省略させて頂いております。



第 壱 章
『 武 道 』

今、古武道やサムライ魂などと、もてはやされておりますが、以前からあったハラキリや刀を振り回すだけのイメージだけでなく、「人が人として生きる」「地位や学歴など関係なく、その人が何を考え、どう生きるか」という本筋をふまえた上で、日本古来のものを見直して頂いているのではないかと、思っております。
武道は人と戦う為のものではなく、己の心を律するものです。
剣は正直です。己の心が素直に現れます。
「よく見せよう・カッコ良く見せよう」とすれば、その通りの心が業(わざ)に現れます。
始めたばかりで、業は未熟であっても、一生懸命練習している姿は、人に感動を与えますし、その人が無心になっていることが、伝わります。
業には理合いがあり、足の位置・手の動き・総てに意味が有ります。
なるほど、と思うことが多々あります。
そうして行き着くところは、心の動き「和の心」です。
先人達が培った業を、伝承することで、その心も伝えられれば、と思い微力ながら努力致しております。


日常とかけ離れた空間で、剣を振る
いつしか無心でいる自分

雑踏の中の自分が、少し清められたような
そんなすがすがしい気持ちになり
剣と巡り合えたことに感謝する日々です。

皆様にもこの静かなる感動を、
   
身をもって感じて頂ければ・・・と思っております。
平成16年4月11日 館長 西田浩三
            



            
 第 弐 章
『 武士道 』

武士道とは儒教の思想を基にして、作られたもので、
「忠誠・犠牲・信義・廉恥・礼儀・潔白・質素・名誉・情愛」等を重んじるものです。 
只、この中の一つだけを誇張してはいけないと思っています。
これらの総てを持ち合わせて、始めて武士道精神に近づけるものです。
人間には欲が多くどれ一つをとっても、なかなかたどり着けない境地ですが、その時代の上に立つ者として、崇高な精神を掲げて精進していたのではないでしょうか、時代によっては権力者の思惑で一つだけを誇張して利用していた感もありますが、心ある者はこうありたいと願って精進していたのだと思います。
武士としてだけでなく、人間としてこうありたいと・・・。

文明は進化しても、人間の心が進化した、という話は聞いておりません。
新聞を見れば判るように、事件のない日はありません。
常に人は善良なる者として生きたいものです。
古武道の修行の中で、失われつつあるものを再発見し、育てて行ければと思ってます。

今は、あまりにも自分の事だけに、心をとらわれているような気がします。
大学に行くのが目的でなく、「学んだものを、どう人の役に立てるか」と言う事に意義があるのです。 良い学校に受かったから偉いのではなく志を立てて、努力することが素晴らしいのです。
耐える事で、自分自身に力が付くのです。
それは、大きな自信と力になり、自然と人に優しくなれると思っております。

武士道の中にある本来の心は、己に厳しく、人に優しく、人間として誇りを持って生きる大切な心です。
剣を振ることで無心になり、自分を見つめ直せれば、、、と思い、日々精進させて頂いてお
ります。


 平成16年6月21日 館長 西田浩三
                     



 第 参 章
『 礼 』

よく、武道は「礼に始まり、礼に終わる」と言われます。
これは、武道に限らず、人として大切なことです。
只、挨拶も大きな声で言えば良い、と言うものではありません。
人が言うから、こちらも言う、仕方なく言ってるから相手の顔も見ていない。
これでは、挨拶ではありません。
入門した人達に伝えるのは
こんにちは」の中に『今日も宜しくお願いします。』と言う心を添えるように又、受ける側も
「こんにちは」の中に『元気そうね、今日も頑張ろう』と顔を見ながら、挨拶の中に心を添えてます。

お互いの気持ちに向かい合って、始めて古武道の修行が始まるからです。
業(わざ)は、形だけではありません「心」です。
自分の心のあり方が、どれほど業に影響するか、始めてみればすぐに判ります。
その人の中で、「心」に蓋をしていたら、稽古をいくら積んでも・業の数は増えても業を会得することは出来ないものです。

人間関係も同じだと思います。挨拶をする・お互いの顔を見る・気持ちを言葉で表す等、小さな事から始めていけば、いつかは必ず分かり合えるものです。
挨拶は、その一歩だと思っております。

又、昇段試験に合格した小学生に伝えたのは「おめでとう、よく頑張ったね! 
でも、こうして合格できたのは自分だけの力でなく、夕食を食べさせて送り出してくれたお母さんや、教えてくれた先輩等、色々な人達のお陰だから、その人達に感謝する事を忘れないように、「自分に良いことがあった場合は、周りの方達のお陰だ、と感謝するように」と伝えました。 

道場では、「年下であっても先輩は先輩、年下の者は後輩が目上であれば目上として立てるように」と話しております。

私も、今こうして指導する立場におりますが、指導する事で逆に教えられ自分の未熟さを反省することが多々あります。
人生、修行の場と考え日々、精進させて頂いております。


  平成16年7月21日 館長 西田浩三






 第 四 章
 『 見稽古 』

聞き慣れない言葉ですが、大切なことです。
武道だけでなく、どんな競技や仕事でもある事だと思います。

昔は、今のように先生やコーチ・先輩が、詳しく説明して教えてくれるような事は有りませんでした。
師の業(わざ)や技術を見よう見まねで覚え、永い年月を掛けて会得して行ったものです
只、現在はそのような永い年月を掛けることや、修行すると言うことを嫌いますが、これは大切なことです。
オリンピックの選手やイチロー選手が、才能だけで活躍をしているのではなく日々の練習の積み重ねだと言う事は、皆様良くわかられている事だと思います。

先生方の指導や教え、そして先輩達の業や技術を見せてもらう事により、大いに得るものが有るはずです。
なるほど・・・と「目からウロコ」と言うような事があります。

私達も、奉納演武や大会等をさせていただきますが、その際に自分の演武が終われば他の参加者の演武を見ないで、私語をしている人達を時々見かけます。勿体ないことです。

他の流派の先生方や先輩・後輩の演武を見せて頂くことで、励みになったり、反省したりと色々な事を教えて頂けるのです。

道場でも、他の人への注意や指導を人ごととせず、しっかり見聞きしてくれている人がおります。他の人への指導も、自分の中に受け入れていくと、自分自身の業の上達だけでなく人間としての幅も大きくなり、技術の上達だけでない、何かを得ていくものです。
自画自賛となりますが、道場でこのような熱心な眼差しに出会うことが多々あり、本当にうれしく思っております。
私が教える以上のことを、受け取り育ててくれているような気がします。
有り難いことです。

私も学ぶ心を忘れずに常に反省の上、身を正し、少しでも多くのことを引き継げるよう努力致したいと思っております。

平成16年10月29日 館長 西田浩三






 第 五 章
 『 業と形 』

 業(わざ)とは、流祖が生死を掛けて編み出したもので、人間の行動パターンを読んだ上で、「理にかなった、無理・無駄のない合理的な動き」の中に存在するものです。
業には理合いがあり、「形」と「理合」は業の両輪をなしてます。
理合を熟知していないで、只、単に刀を振り回すだけであれば単なる形にすぎず、常に一つ一つの業の理合いをしっかり理解し、相手が斬ってくる間合い・呼吸・速さ・方向などその場の状況を考えながら、何故ここに足を付くのか・何故ここを切り下ろすのか、何故この姿勢なのか・・等、そのあらゆる場合を想定して動けるようになると、初めて業と言うものが分かりかけるような気がします。

蒲池先生は「形は覚えて忘れろ」とよく言われていました。
初心者の頃は、形や順番を覚えるのがやっとで、なぜそれを「忘れろ」と言われるのか解らずにいました。
より実践的な修行をされた先生でしたので、言われた事が「相手は形通りには攻めてこず、何時如何なる相手にも対応できるように」と言う事だったのだと、理解し、受け止めることが出来たのは数年後のことでした。
何度も何度も繰り返し稽古することで、その業が見えて来るものです。
形で止まるのと、業を習得するのでは大きな違いがあります。

当道場では、「技は体で覚え、心で鍛えよ」と掲げております。
形を覚え、それが業になり、業を通じて心の修行をして欲しいと思っています。
初めの頃は、誰もが初めて扱う刀に戸惑い、真剣に教えを受けます。
慣れてきて「業」の数本も知ると、「自分はこの業は出来た」と思い始める方もいます。
それは順番を覚えただけであって、会得したのではありません。
又、「注意される」と受け取るか「教えを受けている」と思うかで大きな違いがあり、その後の上達にも、はっきりと差が出てきます。
現代社会においても、「受け取る側」の心一つで、大きな変化をもたらすはずです

居合道の世界は奥が深く、業にも「その人の人となり」が現れます。
「現代社会は、生死を懸けて戦いをすることは無いのだから、「形」だけを伝えて行けば良い」と言う考え方もありますが、「心無くして刀は振れません」業と向かい合って、初めて己を知る事が出来る場合もあります。

当道場の門は、「居合は形だけで・段位も取り安いから始めよう」等と、思っている方には重く堅く、素直な気持ちで、何か打ち込めるものを求めている方には抵抗無く開くと思います。


平成17年2月10日 館長 西田浩三
                    




            
 第 六 章
なぜ、福岡藩に柳生新影流が
今も伝承されているのか?
                
徳川の時代、多くの藩では柳生新陰流兵法を学んでいたようですが、徳川幕府が滅びるのと同時に、柳生新陰流兵法を学ぶ人が少なくなったと聞いております。
やはり、元々その地にあった流派が台頭して来たのではないでしょうか。

柳生新陰流は多くの藩に高弟を派遣しておりましたが、唯一福岡藩に伝わったものが現在に至るまで受け継がれております。 
柳生石舟斎の高弟である大野松右衛門は、同門の有地内蔵助を帯同して萩藩に指南役として出向き、その後、有地内蔵助は薩摩藩の指南役を勤め、有地四郎右衛門就信が福岡藩に指南役として招致されたことが福岡藩での柳生新影流の始まりです。

大野松右衛門は功あって「柳生」の姓を与えられたので、柳生松右衛門家信を名乗ると共に、西国に在りて柳生の地を忘れずに、と言う意味を込めて「柳生新影流兵法」を名乗ったようです。

柳生新影流兵法は、剣法であり居合とは異なるものです。
複数の相手・色々な状況下で戦う為の、より実践的な兵法であり、「刀の使い方・体の動き・手の使い方・足裁き」等が難しく、奥義を極めるのは極めて困難なものです。

その困難な業(わざ)を会得する為に、 三宅三右衛門継信が発案した「基本の業」が有ります。
この基本の業は、刀の使い方・体の動き・手の使い方・足裁き等を学ぶ為のもです
まず基本の業を練習することで、スムーズに奥業に入っていく事が出来ます。

この様に、基本をしっかり学ぶことで、古くより伝わった奥業を自己流に変化させること無く、尾張・江戸柳生から遠く離れた、西国の地でも柳生新影流が脈々と受け継がれているのです。

私も、入門当初は何も解らず夢中で基本の業を修得して参りましたが、今に成ってこの業の中で初めて刀を扱う者に何を修得させようとしていたのかが、深く理解出きるようになりこの業の奥の深さに感動と感激を致しております。

この基本の業を蒲池源三郎鎮浪先生が、更に理合いを深く掘り下げ、より実戦的に進化させた「基本の業(二本目)」もあります。

この二つの基本を学ぶことで、伝承されている柳生新影流の奥業を、刀に縁のない現在でも会得する事が、出来るのだと思います。
この様に福岡藩に今も続いているのは、西国に派遣された先人達の限りない努力のお陰だと思っております。

当道場は、基本の業をしっかり学び、精神を鍛え、奥義を伝承して行く為の場所で、自己の損得勘定や地位や名誉に関わらず、「唯ひたすら剣を振る場」で有りたいと、願っております。
そして脈々と受け継がれた伝統の業と精神を今後も引き継いで行きたいと思っております。


平成17年5月5日 館長 西田浩三




 第 七 章
『西国柳生新影流兵法』名称変更のご報告

 当錬心館は、柳生新影流兵法の初代 柳生但馬守宗巌(石舟斎)が、高弟である大野松右衛門に柳生の姓を与え、同門の有地内蔵允元勝を帯同させ、萩藩に指南役として出向かせたのが始まりです。 それから薩摩、福岡藩と伝承されて来たのが、現在私達が修行していた「柳生新影流兵法」です。

伝承していく中で、三宅三右衛門継信は、現在にあっては刀とは無縁の生活をしている我々の為、奥業を学びやすく出来るようにと、基本の業を制定し、更に蒲池源三郎鎮浪がその業を、より実践的に進化させております。
これは、柳生新影流兵法の業を違える事なく伝承する為の努力であり、行き着く処は本来の柳生新影流兵法の業です。

柳生新影流兵法が、九州という西の地にあっても本来の業を違える事なく、脈々と受け継がれているのは、先人達の努力のお陰です。
この様に江戸柳生・尾張柳生とは別に、日本の西の地にて独自の発展・進化を遂げております。

この事から、我々の先人達が西国にて本来の業を違える事なく、伝承する為に努力し培って来たものを、我々もその熱い思いを大切に、信念を持って伝承して行きたいと思い今回大いなる決意を以て、「西国 柳生新影流兵法」と改めせて頂きます。
これは、新しく流派を構えたり、宗家を名乗るものではなく、江戸柳生・尾張柳生との区別をはっきり意識した上で、より一層西国での柳生新影流兵法を伝承していく為のものです


 先人達の鍛えし業を守りぬく為に
強い意志と信念で、新しい呼び名を用いるが
決して業の変化・変更するものでなく
西の地にても、脈々と柳生新影流兵法が伝承されていることを
心新たに、後世に伝えんが為のものである。

「武道を愛し、人を愛し、己に厳しく精進あるのみ」


今回、この様な志を持ち、西国での柳生新影流兵法を
誇りを持って伝承して行きたいと思っております。

皆様のご理解と、厚い御支援を、お願い申し上げます。

合 掌

平成17年11月13日 館長 西田浩三

           
  
                                


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 第 八 章
『西国 柳生新影流兵法沿革 変更の趣旨』

  当錬心館では、道場を建て替えた平成13年より連盟・流派を超えた武道を愛する各流派の皆様が2年に1度集い演武大会を行っておりますが、只演武のみでなく、その中で各流派に残る鍛えし業(わざ)の理合い等を説明して頂くという、一歩踏み込んだ大会に致しております。
これは相手を知ることでお互いの理解を深め、認め合い、お互いの修業の励みになれば、という趣旨のもと行っております。
 
平成17年11月13日の大会のおり、当錬心館が名称を「柳生新影流兵法」より「西国 柳生新影流兵法」とする事を発表させて頂きましたが、そのためには何故、「西国 柳生新影流兵法」なのか、「柳生の地より西国へどのような経緯を経て伝承されて来たのか」を、明確にする必要があると思い、先人達の軌跡について文献ひも解き、それをもとに新たな「西国 柳生新影流兵法 沿革」を作りここに発表することといたしました。 

今回の沿革にあるように、江戸柳生・尾張柳生だけでなく日本の西の地でも、柳生新影流兵法が脈々と受け継がれていることを知っていただきたいと思うと共に、この様に当柳生新影流だけでなく他の流派でも、各藩(地方)で今も伝承されている流派があるのではないかと思っております。

また今回の調査で、今日に至るまでには偉大な先人たちによって築かれた歴史があったことを確信し、従来顧みられることがなかった多くの先人にも光を当てることができたと喜んでおります。

これら多くの先人達により、現代に継承された鍛えし業を守りぬき、後世への橋渡しをする事が如何に大切なことなのかを、心新たに考えさせられておりますとともに、今回のように少しでも継承の歴史を明らかにすることが、伝承し続けてきた先人達への恩返しであると思っております。

今後も、古武道が永遠に伝承されることを心より願うとともに、これからの若い人達が日本文化・地方の文化を絶やすことなく引き継いで行って欲しいと願っております。
その為に私が出来ることは、「欲を捨て、努力を惜しまず、日々精進あるのみ」と心して 指導して参りたいと思っております。
 

平成18年3月1日 館長 西田浩三
                                                   


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 第 九 章
  『 夢と努力 』

初代館長の残した言葉の中に「努力」があります。
よく使われる言葉で、もちろん皆さんもご存知と思いますが、
父が私に伝えたのは
 『通常の努力は自分なりに一生懸命して、もうこれ以上は出来ないという所・自分の中で努力をしたと納得した所で終わる人が多いが、本当の努力はそこからが始まりで、もう限界と思った後の、もう一歩・もう一回と続けるのが本当の努力で、それが自分の身に付くものだ』と私によく言っておりました。

この言葉はその後の私の大いなる励みとなり、もうこれでこの業は出来る様になったとか、もう充分稽古を積んだとか思うことがなくなりました。
常に前向きに稽古に励めるようになり、そうして続けていく中で多くのものを学んだような気がします。
父は武道が上手く成ることよりも、「努力」をする姿勢が大切な事だと教えてくれたのだと思います。

これは、武道だけでなく勉強・スポーツ・仕事又は日常生活の中でも共通して言えることではないかと思っています。
夢を実現するには、すべて努力が必要で有り、夢に向かって進む努力は楽しいものです。
楽しんでするから身に付くのであって、嫌々しても身に付きません。
努力する事が楽しい事だと知った時、総てに於いて前へ前へ進んで行けるのだと思います。
その為には、夢や目標は自分が決め・自分が選んだものであってほしいです
若い方はもっともっと自分の可能性にチャレンジしてほしいと思っております。

この私にも夢があります。日本古来の武道を皆さんに伝えたい・武道を通じて学んだ心を目標に向かって進む皆さんの役に立ててほしいという夢があります。
初代館長の教えを心に、日々精進して行きたいと思っております。


平成19年1月24日 館長 西田浩三
                                                    




 第 十 章
 『何の為に古武道を学ぶのか?』

その答えは人それぞれでしょうが、

私の場合、最初は剣を振る事でいつしか無心になり、心が清められる! その清々しさに感動を覚えておりましたが、修業を積む中でいつしか「心が真っ直ぐになる」事に気がつきました。今では真っ直ぐな信念を持つ、筋の通った人間になる為に、古武道を続けているような気がしています。
私も弱い人間ですから、出来るだけ楽な方に、楽な方に、波風立てないで静かに暮らす
ことを望んでいました。
しかし古武道を修業して行く中で、姿勢が良くなったり体の芯がぶれなくなったりして行く内に、人として守らなければならない事、優しくある為の心の強さ、正直である事等々、大切にしなければならない心「善なる心」を、いつしか自分の体の中心に持って来てくれることに気がつきました。
今では、剣を無心に振ることで、体だけでなく心も正してくれると信じています
「善なる魂」は、人の心に必ず存在しており誰もが持っているものです
只、毎日の生活に追われるあまりに、人様の役に立つ・正直である・人をかばい思いやる心・・・等が希薄になりがちなだけです。
正しい事をするのにも勇気がいります。そうゆう場面に遭遇した時にためらわず声が出たり、体が動いたりしなければ成りません。それには勇気と強い心が必要です。
その心を培いたくて古武道をしているような気がします。

古武道は人と競い合うものでなく、自分自身との戦いです。

もちろん道場で剣を振るときは、何も求めず・考えず・無心です。
只、「剣が導いてくれる」そんな気がしております。有り難い事です。

今後も、大げさな道徳論をかざして古武道を伝えるのでなく、誰でも理解できる言葉で話し、指導して行きたいと考えております。
そして修業する本人が自分で体験して会得して欲しい、そのお手伝いをさせてもらう、そういう気持ちでおります。

この様な日本の伝統文化である古武道を伝承出来る事に、感謝と誇りを感じ、人として・日本人として恥じない人生を送りたいと思う今日この頃です。


平成20年1月24日 館長 西田浩三



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 第 十一 章
 『級及び段位について』

錬心館では、「段位」だけでなく「級」も定めています。

これは、刀を見たことも無い・剣の使い方も解らない者達の為に作られた「基本の業」をしっかり段階を踏まえて学ぶ事によって、古から伝承された業を大切に継承して行きたいと思っているからです。

三宅三右衛門先生が考案された基本の業には、斬業と突業が8本と詰業4本合わせて12本有ります。それに、この基本を基にして蒲池先生が作られた「基本の実戦業」(当館では基本の二本目としています)が有りますが、これは有段者になって学びます。

最初に修行する、試太刀・基本の斬業・突業の9本を修得出来た者が、昇段審査を受ける資格があります。
この時求められるのは「業の形」のみでなく、剣の振りは勿論理合い等を会得している事 尚且つ、有段者としての心配りや武道を歩む者としての心構えも重要視します。
当館の有段者になるには3年から5年掛かる厳しさです。

いい加減な修行は、間違った業や理合いを学んだ上に、戦う為だけでなく精神面にも発展し伝承されている日本の古武道が違った方向へ行く、それが怖いのです。
古武道を学ぶ者として、きちんと次の世代に継承する事も大切な事だと思っています。
基本をしっかり身につけることで、伝承された業を違えることなく、又自分流に変化させる事なく次の世代に継承できると信じております。

このように一歩一歩を大切にする当館では、基本の突業に入る前に、門人達が「自分は基本の斬業をしっかり修行出来ているか」の確認をする為に、最初に学ぶ試太刀と斬業の計五本を会得した者が、一区切りとして昇級審査を受けます。
もちろん全員合格するわけでないので、これまで以上に修行に励んで頂きます

昇級審査を受ける事で作法・態度・間合等、全体的な見直しと反省する事で、これまで気が付かなかった事も学び、上達して行くものです。
この昇級審査にも1〜3年は掛かります。

昇級審査は昇段審査へ段階であって、あくまでも門人達の修行の励みとなる事を願っての設定です。
有級者になる事によって、有段者に成る為の心構えが少し芽生えて来る様です。

何度も言いますが、なぜここまで基本の業に時間を掛け修行するのか、それは武道を志すものとしての誇りと言動を携えて「日本古来の業と精神」を会得し次の世代にも伝承して欲しいからです。
これは武道を愛する者としての責任と思っております。

楽しく・厳しい修行の中に、目に見えない精神的なものが、自分の中に芽生え・成長する嬉しい感動です! この感動を道場で沢山見つけてほしいものです。


平成21年9月1日 館長 西田浩三



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 第 十二 章
『別れと感謝』

平成22年は私にとって辛い悲しい別れと共に、道場の門人達と出会えた事に改めて感謝する年になりました。

父の代より始めた錬心館の一番の良き理解者であり、集まってくれた門人達を家族の様に大切に思ってくれた母との突然の別れが有りました

父との修業時代から演武大会などには常に同行してくれ、時には厳しい批評するなど日本古来の武道を私達と共に愛してくれた母でした。その母が蒲池先生や父亡き後に「古武道をより多くの人々に伝承して行きたい」という私の思いを聞くと何のためらいもなく土地と建物を提供してくれました
私自身「それなら道場を建てなさい、もっと広くしなくて良いね」と言う母のあまりにも早い決断に驚いたことを昨日のように思い出します

その後も支援を続けてくれた上、集まる門人達を子や孫のように思い、稽古の日の夕食は「今日のお稽古にはどなたが見えた?」から始まり道場での話を聞くのを何よりも楽しみにしてくれていました
物心共に道場に寄り添ってくれた母でした。

昭和一桁生れの母の人生を振り返ると戦争中を女学校時代に過ごし、色々な事が有ったはずです。日本中が総てを無くした厳しい時代ですから、、、
若い頃は夜明け前の
23時には起きて働く等、女性でありながら西田家の再興を誓い、その為には努力を惜しまず、贅沢もせず常に人の何倍も働いてきたは母でした
しかし母は「これまでして来た事を苦労と思ったことは一度もない」と笑顔で話し「人様の為には最善を尽くしなさい。喜ばれる事やお役に立つ事をしなさい」が口癖でした。

そして最後は、常々口にしていた「人生にはまさかの坂がある」と言う教えを
平和で恵まれた生活を送っている私達に身を以て示した上で「自分の出来る最善を尽くし、恥じない人生を送りなさい」と教えてくれていたような気がします

その母との別れの席には、大勢の門人が集まってくれました。

忙しくて暫く道場に顔を出せていない者や、母と話す機会の無かった新人も参列してくれた上、大阪、熊本、大分、山口、沖縄からも駆けつけてくれました
又、大勢のご家族の方も参列して頂き、有り難く感謝の気持ちで一杯です

「自分たちの出来ることは何でもします」と言う気持ち溢れる門人達に囲まれて何と心強かった事か、常々「錬心館は大きな家族・和を大切にして行こう」と話し、門人達は私たちが守ると思っていましたが、逆に守られていたのは私達でした。本当に有り難く、嬉しかったです

又、その姿に多くの参列者の方から「武道をされている方は違いますね、立ち振る舞いから違います立派でしたね」と称賛を受けたときには、改めて道場を開いて良かった、皆さんに出会えて本当に良かったと感無量でした。

初代館長の古武道を愛する純粋で熱い想いと、道場に夢を託してくれた母を永代会長とし、二人の思いを忘れない為に錬心館創立30周年の今年から初代館長西田次芳より「秀芳賞」永代会長西田満子より「満励賞」を贈る事にしました。

これは私達にとっては門人の皆様へ深い感謝の意を込めたものであり、今後の大きな励みとなればと願って設立したものです

成22年は、私達姉弟にとっては辛い年となりましたが、錬心館の皆様が先を照らし支えてくれている事に改めて感謝する年となりました。

門人の皆様及び道場通いを理解し後ろから支えて下さっているご家族の皆様、本当に有り難うございました。
皆様のお陰で私達はこれからの人生を古武道に総てをかけて行く事が出来ます

深い悲しみと感謝の一年を静かに過ごし、来年からさらなる精進をして行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

平成22年12月18日 館長 西田浩三
                       


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 第 十三 章
『平成三十年記念 福岡県武道大会』

福岡県で武道の枠を超えた武道大会は明治百年祭・昭和五十年祭と二回行われておりました。
私も21歳の時に昭和五十年祭に参加させていただき、色々な武道家が一同に参加されていて晴らしい演武を拝見し、非常に勉強になった思い出があります。

私の夢の一つに、この様な大会が平成の世に出来ないかと常々思っておりました。

福岡は、武道が盛んな土地柄で、伝承されている古武道や立派な先生方が沢山おられますが、流派・連盟を超えて行うことは、色々な問題があり非常に難しいとの事で、何時か出来ればと思いながら日が経つばかりでしたが、天皇陛下御退位の報道を受け、このまま何もしなければ平成の世が終わってしまうと言う思いに駆られて、天皇皇后両陛下に感謝の思いを込めて行うには、今しかない!結果を恐れて何もしないより、と思い行動に移してみました。

武道家の皆様方にお声を掛けさせていただいたところ、思わぬ四十数団体の皆様から賛同をいただき、それが力となり大会実現に向けて動き出しました。

日程の関係で参加出来ない、趣旨に賛同しているが、連盟等の関係で参加したいが、参加できないと言われる先生方もおられ、今大会には25団体(28流派)と応援に和太鼓の団体も参加していただきました。

当日は台風接近で開催も危ぶまれましたが、無事開催をすることが出来、会場では台風を吹き飛ばす熱い思いで、素晴らしい鍛錬された「業」の演武が披露されました。

業の違いを超えて武道家同士の連携が出来、未来を託す若者に日本人が誇れる武士道精神を伝承するきっかけになればと思っております


参加していただきました、武道家及び和太鼓の皆様大変感謝申し上げます



平成30年10月吉日 館長 西田浩三
            


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第 十四 章 
 
『試し斬りの考え方』


当流派は実戦を基にした居合剣法の流派であり、居合や据え物斬りの流派とは異なります

常に相手を想定し、相手の人数・場所・時など条件を踏まえた上での「業」が多数有ります。
もちろんこれらの「業の動き」にはすべて理合いがあります。
2〜3年かけて学ぶ基本の型にも理合いがあります。ある程度修行を積んできた者は、自分の振っている剣の刃筋が通っているか、斬れる剣を振っているのか、確認したくなるものです

只、これらの動きが形だけになり、刃筋も通っていないでは踊りと一緒です。この様な事に成らない為、各自が身をもって剣の振りの確認をしてほしくて年に一度試し斬りを行っております。(平成28年度より年2回に変更になりました。)

本来、当流派においては、試し斬りは内々でするものとしております。
試し斬りはあくまでも修行の一部であって、人様にご披露するものでは無いと考えているからです。
物を斬るとどうしても、斬れた!斬れなかった!と斬ることに走り、斬れた事で良しとしてしまうからです。

斬れた事より、斬った時の姿勢・剣の振り・腰の入れ方・角度等大切な事を確認し、自分の欠点を見い出し学ぶ事が大切です。
その事をしっかり踏まえて進まないと、大きな落とし穴に入ると思っております

この様に試し斬りは、あくまでもこれまでの修行の成果と今後の「精進の糧」とするものと考えております。

よって錬心館は、神社・仏閣では、試し斬りは致しておりません。
まして、子供のいる場所や余興的にはすべきでないと思っております。

「敵を斬る・その敵こそ我が邪心なり」の心で修行に励む為には、しっかり自分を見つめなければ成りません。
静かに心を統一して望めば、何か見えてくるものがあると思います。

「試し斬り」を通じて多くのものを会得する事が出来れば・・・と願っております。


  錬心館 館長 西田浩三