平成22年は私にとって辛い悲しい別れと共に、道場の門人達と出会えた事に改めて感謝する年になりました。
父の代より始めた錬心館の一番の良き理解者であり、集まってくれた門人達を家族の様に大切に思ってくれた母との突然の別れが有りました
父との修業時代から演武大会などには常に同行してくれ、時には厳しい批評するなど日本古来の武道を私達と共に愛してくれた母でした。その母が蒲池先生や父亡き後に「古武道をより多くの人々に伝承して行きたい」という私の思いを聞くと何のためらいもなく土地と建物を提供してくれました
私自身「それなら道場を建てなさい、もっと広くしなくて良いね」と言う母のあまりにも早い決断に驚いたことを昨日のように思い出します
その後も支援を続けてくれた上、集まる門人達を子や孫のように思い、稽古の日の夕食は「今日のお稽古にはどなたが見えた?」から始まり道場での話を聞くのを何よりも楽しみにしてくれていました
物心共に道場に寄り添ってくれた母でした。
昭和一桁生れの母の人生を振り返ると戦争中を女学校時代に過ごし、色々な事が有ったはずです。日本中が総てを無くした厳しい時代ですから、、、
若い頃は夜明け前の2〜3時には起きて働く等、女性でありながら西田家の再興を誓い、その為には努力を惜しまず、贅沢もせず常に人の何倍も働いてきたは母でした
しかし母は「これまでして来た事を苦労と思ったことは一度もない」と笑顔で話し「人様の為には最善を尽くしなさい。喜ばれる事やお役に立つ事をしなさい」が口癖でした。
そして最後は、常々口にしていた「人生にはまさかの坂がある」と言う教えを
平和で恵まれた生活を送っている私達に身を以て示した上で「自分の出来る最善を尽くし、恥じない人生を送りなさい」と教えてくれていたような気がします
その母との別れの席には、大勢の門人が集まってくれました。
忙しくて暫く道場に顔を出せていない者や、母と話す機会の無かった新人も参列してくれた上、大阪、熊本、大分、山口、沖縄からも駆けつけてくれました
又、大勢のご家族の方も参列して頂き、有り難く感謝の気持ちで一杯です
「自分たちの出来ることは何でもします」と言う気持ち溢れる門人達に囲まれて何と心強かった事か、常々「錬心館は大きな家族・和を大切にして行こう」と話し、門人達は私たちが守ると思っていましたが、逆に守られていたのは私達でした。本当に有り難く、嬉しかったです
又、その姿に多くの参列者の方から「武道をされている方は違いますね、立ち振る舞いから違います立派でしたね」と称賛を受けたときには、改めて道場を開いて良かった、皆さんに出会えて本当に良かったと感無量でした。
初代館長の古武道を愛する純粋で熱い想いと、道場に夢を託してくれた母を永代会長とし、二人の思いを忘れない為に錬心館創立30周年の今年から初代館長西田次芳より「秀芳賞」永代会長西田満子より「満励賞」を贈る事にしました。
これは私達にとっては門人の皆様へ深い感謝の意を込めたものであり、今後の大きな励みとなればと願って設立したものです
平成22年は、私達姉弟にとっては辛い年となりましたが、錬心館の皆様が先を照らし支えてくれている事に改めて感謝する年となりました。
門人の皆様及び道場通いを理解し後ろから支えて下さっているご家族の皆様、本当に有り難うございました。
皆様のお陰で私達はこれからの人生を古武道に総てをかけて行く事が出来ます
深い悲しみと感謝の一年を静かに過ごし、来年からさらなる精進をして行きたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。
|