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錬心館 道場紹介



錬心館 心得
「業(わざ)は体で覚え、心で錬(きた)うべし」

頭で覚えた業は時が経てば忘れるが
練習を重ねて、体で覚えた業は、一生忘れないものである
技を覚えてくると自惚れたり、上手に見せようとしたり
己のやましい心が出て来るものである
その心を鍛えるのが、錬心館での修行と心すべし

                        館長
「日輪摩利支天」(にちりんまりしてん)は
西国 柳生新影流のご神体と成っております
摩利支天(まりしてん)は仏教の守護神である天部の一つであり、摩利(原語mariti)は太陽や月の光線を意味し、陽炎(かげろう)を神格化したもので、特に密教系では必勝祈願の神として信仰されていたようです。
陽炎は実体がないので捕えられず、傷付かないと言われ、この「傷つかない」という特性から、武士の間にも摩利支天信仰があったようです。
摩利支天は元来女神であるが、七頭の猪に乗り三面六臂で左は忿怒の顔、右は童女の優しい顔、正面は菩薩で六臂には各々持ち物があり頭に宝塔を乗せっておられます。

摩利支天は衆生を守らんが為、常に太陽や月に先達て巡り、六臂にある持ち物は「抜苦興楽」を示しており、弓・矢・剣を以ては悪魔を降服し怨賊を滅ぼし、糸と針を以ては女人手技を助け、讒言(事実でない事を目上の人に告げ、他人を落とし入れる)悪口の唇を縫い閉じ、又、無優樹を以ては五穀の結実を豊にして万民の飢餓を救うと言われております。

この様に摩利支天は一切の災難を防ぎ、身を隠す術を得ると言われ、中世の武士の間に広まり、江戸時代には民衆に広く信仰された護身、隠身、得財などの神様であります。

上泉伊勢守秀綱は天文年間、「鹿島」に於いて、 愛州移香斎の「影流」、並びに松本備前守の「鹿島神流」を学び、自ら会得した兵法を加え創意工夫を重ね、人間の煩悩を断ち切る「日輪摩利支尊天」の振るう仏刀を奥源となし、不殺修身の活人剣を持って奥義としたものであります。

  錬心館の歩み
◎昭和56年10月16日 錬心館 設立
◎平成13年10月14日 錬心館道場 完成
◎平成27年10月 1日 西国武道会館 完成


昭和43年 初代館長である西田次芳が「福岡藩伝 柳生新影流兵法」蒲池源三郎鎮浪先生率いる柳心会へ入門、 その後  長男西田浩三・長女 西田孝子も入門し修行を初める。
当時数名であった柳心会(会長 蒲池源三郎鎮浪)も、八支部・館員百数十名となり、副会長(西田次芳)として微力ながら 務めさせて頂きました。

昭和56年10月16日、蒲池源三郎鎮浪先生の認可を得て、「錬心館」として親子3名で独立する。
当初は、自宅の二階を道場として開設し、蒲池先生にも指導においで頂く。

蒲池先生より拝受する
昭和57年 西田次芳 免許皆伝
平成03年 西田浩三 免許皆伝
昭和51年 西田孝子 初伝

昭和58年6月10日に初代館長 西田次芳 (54才)急死の為、同年7月より、二代目館長として、西田浩三が就任する。

平成9年8月21日に蒲池源三郎鎮浪先生が、享年86才で永眠される。
この訃報を受け
「古武道は、流祖が生死をかけ創意工夫をして編み出したものであり、師から弟子が受け継いだものを正しく正確に自分流に変化させることなく、後生につないで行くことが、弟子の努め」との思いを強くし業を継承して行く為に、錬心館創立21年目に当たる平成13年10月に新道場を建築する。
同年10月14日に柿落としを行う。

平成17年11月13日に「西国 柳生新影流兵法」と改名する。
柳生新影流兵法の業が、
日本の西の地にて脈々と受け継がれており、江戸・尾張柳生とは別の独自の発展・進化を遂げております。
先人の鍛えし業を違えることなく伝承する為に、強い意志と信念で「西国 柳生新影流兵法」と改名する。これは、決して流派を立ち上げたり、業の変化や変更をする為のものでなく、心新たに後世に伝承せんが為のものです


錬心館 初代館長 西田次芳
初代館長 西田次芳の武歴 

 昭和3年       熊本の地にて誕生
 昭和43年      福岡藩伝 柳生新影流兵法蒲池鎮浪先生へ入門
 昭和47年      福岡藩伝 柳生新影流兵法 奥入拝受
 昭和50年2月   全日本居合道連盟 五段
 昭和50年5月   日本居合道連盟   五段(連盟を替わる)
 昭和50年10月   日本伝統綜合武道祭(昭和五十年記念) 参加 
 昭和51年      日本居合道連盟   六段
 昭和51年      福岡藩伝 柳生新影流兵法 奥伝拝受
 昭和51年      福岡藩伝 柳生新影流兵法 師範就任
 昭和53年      日本居合道連盟   錬士
 昭和53年      福岡藩伝 柳生新影流兵法 免許拝受 
 昭和56年      日本居合道連盟   七段
 昭和56年     「錬心館」創立 先生の認可を得、より厳しい道に進む
 昭和57年     福岡藩伝 柳生新影流兵法 免許皆伝拝受
 昭和58年     他界

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二代目館長 新錬心館道場にて

二代目館長 西田浩三の武歴

昭和29年  福岡県に誕生
昭和46年  福岡藩伝 柳生新影流兵法 蒲池鎮浪先生へ入門
昭和50年  日本伝統綜合武道祭(昭和五十年記念)参加
昭和51年  福岡藩伝 柳生新影流兵法 中伝拝受
昭和53年  福岡藩伝 柳生新影流兵法 初免許拝受
昭和54年  福岡藩伝 柳生新影流兵法 師範就任
昭和56年  錬心館設立 師範代就任
昭和57年  日本居合道連盟 錬士六段部 大会賞受領
昭和57年  福岡藩伝 柳生新影流兵法 免許拝受
昭和58年  錬心館 二代目館長就任
昭和60年  日本居合道連盟 七段 その後連盟を退会する
平成 3年   福岡藩伝 柳生新影流兵法 免許皆伝拝受
平成17年  「西国 柳生新影流兵法 錬心館」と改名する
平成27年  西国武道会館を完成させ武道の発展に努める
          
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師範 西田孝子の武歴

昭和27年    福岡県に誕生
昭和49年    福岡藩伝 柳生新影流兵法 蒲池鎮浪先生へ入門
昭和51年    福岡藩伝 柳生新影流兵法 初伝拝受
昭和52年    日本居合道連盟 参段
昭和56年    錬心館設立に伴い 錬心館に入門
昭和60年    日本居合道連盟 その後連盟を退会する
平成18年    西国柳生新影流兵法 錬心館 六段 
平成18年    西国柳生新影流兵法 錬心館 師範代就任
平成23年    西国柳生新影流兵法 錬心館 錬士
平成28年    西国柳生新影流兵法 錬心館 七段
平成29年1月 西国柳生新影流兵法 錬心館 師範を拝受





初代館長 西 田 次 芳
  組演武の練習風景(昭和40年代               
二代目館長 西 田 浩 三 
練習でも気迫一杯です
二代目館長です
         
  真剣による組太刀            (香椎宮)                        (太宰府天満宮) 
真剣による組演武です

真剣による組演武です

初代館長西田次芳と西田浩三
検証:蒲池鎮浪先生
 
昭和57年 旧道場にて                       初代館長と現在館長の真剣による組太刀
旧錬心館道場です 真剣ですから練習でも気が抜けません

館長の西田浩三は福岡藩に伝わる金輪流鎖鎌も合わせて修業しております。 師範代の西田孝子は福岡藩に伝わる清和流及び天道流薙刀を修業しております
金輪流 鎖鎌組演武
打太刀:戸野川 卓
仕太刀:西田浩三

金輪流 鎖鎌の組演武です
天道流 薙刀組演武
打太刀:村山和子(範士八段)
仕太刀:西田孝子

天道流 薙刀の組演武です

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